小学生にも分かる連続体仮説

先生は、黒板にいきなり、こう書きました。

0 1 2 3


これは、0 以上の整数です。


続けて、先生は書きました。

0 2 4 6


これは、0 以上の偶数です。


そうして、先生は生徒たちに質問しました。
「整数と偶数、どちらが多いかしら?」
小学校では負数を教えないので、先生は、「0 以上の」という前提をあえて言いません。


A君が言いました。
「先生、どっちも同じだけあるよ。だって、整数を 2 倍すると偶数になるもん。上と下、ちょうどペアにできるよね!」

0 1 2 3
0 2 4 6


確かに、上の数を 2 倍すると、下の数になっています。
そもそも、どちらも無限にあるのですから、同じだけあるのは当たり前のようにも感じられます。


続いて、Bさんが言いました。
「先生、こうしたらどうかしら。」

0 1 2 3 4 5 6
0 2 4 6


「1 とか 3 とか 5 とかは、偶数じゃないから、整数の方が偶数より多いんじゃないかなー。」


どちらの意見も正しそうです。でも、どちらかが正解なら、どちらかが間違っています。


さあさあ、整数と偶数は、どちらが多いのか、訳が分からなくなってきました。
生徒たちはざわついています。


生徒たちが混乱の極みに達したとき、先生は言いました。
「それじゃあ、多いか少ないかを調べるのに、いつもはどうしているか、考えてみましょうか。」


先生は黒板にこう書きました。

りんごa りんごb りんごc りんごd
みかんa みかんb みかんc みかんd


「りんごとみかん、どちらが多いかしら?」
「どっちも同じー!」
「そう、その通り。何故かって、りんごa はみかんa と、りんごb はりんごb と、ペアをつくることができるわよね。そうして、みんなが仲間はずれなくペアになることができるとき、それぞれ同じだけあるって言えるわよね。」
「うんうん」
「じゃあ、整数と偶数は、どちらが多いかしら?」


生徒たちは考えます。
しばらくして、ある生徒が言いました。
「先生、どっちも同じだけあるよ。だって、Bさんの方法だと仲間はずれができちゃうけど、A君の方法だと仲間はずれができないもん。仲間はずれがないようにペアにできるんだったら、同じだけあるんですよねっ。」
「そう、その通りよっ!」
「なるほどー。」
「整数も偶数も、みんなが仲間はずれなくペアになることができるから、それぞれ同じだけあるって言えるわね。仲間はずれができないように精一杯がんばって、仲間はずれがいないようにできるなら、同じだけあるって言うことにするわ。」
「そんなこと、誰が決めたんですか?」
「昔の人よ!」
「…。」


生徒たちは納得しました。
何はともあれ、0 以上の整数と 0 以上の偶数が同じだけあることが分かりました。


しかし、ホッとしたのもつかの間、唐突に、C君が言いました。
「先生!どちらも同じだけあるのは分かりました。じゃあ、無限にあるものは、全部が同じだけあるって言えるんですか?整数や偶数よりも多い無限とか、ないんですか!?」


C君はクラスで一番の秀才です。算数のテストはいつでも 100 点です。


先生の目が、キラリと光りました。
「ふふっ。C君、それはとっても良い質問ね。じゃあ、みんな、次のような問題を考えてみましょうか。」


先生はそう言って、黒板にこう書きました。


{1,2,3}


「今、袋の中に 1, 2, 3 と書かれたボールが入っているわ。{} は袋だと思ってね。ここで、この袋の中からボールをいくつか取り出して、別の袋に入れたいと思うの。じゃあ、入れ方は何通りあるかしら。」
「えー。わかんなーい。」
「んっと、ちょっと難しいわよね。じゃあ、こんな風に考えたらどうかしら。ボールを 3 つ全部、別の袋に入れたなら…。」


{1,2,3}


「別の袋にも同じだけ入っているわね。これでまずは 1 通り。次は、ボールを 2 つだけ取り出して、別の袋に入れたなら…。」


{1,2}, {2,3}, {3,1}


「この 3 通りがあるわね。今度は、ボールを 1 つだけ取り出して、別の袋に入れたなら…。」


{1}, {2}, {3}


「また 3 通りがあるわね。じゃあ、これで全部かしら?いいえ。ボールを 1 つも取り出さないってこともありえるわ。」


{}


「これは、袋の中が空っぽっていう意味よ。」
「ふーん。」


{1,2,3}
{1,2}, {2,3}, {3,1}
{1}, {2}, {3}
{}


「結局、別の袋へのボールの入れ方は、何通りあるかしら?」
「8通りー!」
「正解!」


これでようやく、説明の準備が整いました。
先生はそろそろ、疲れてきています。
執筆者の私も、疲れてきています。


先生は言いました。
「1, 2, 3 の 3 つのボールが入った袋から、ボールをいくつか取り出して別の袋に入れる方法は 8 通り。3 つだったら 8 通り。3 から 8。数が増えてるわね。実はこれ、ボールが何個でも同じことが言えるの。3 個でも 4 個でも 100 個でも…、そして、無限個でも!」
「えっ。ということは…。」
いつもは大人しくてあまり発言しないDさんが口を開きました。
「あら、Dさん、何か気付いたようね。どういうことかしら?」
「えっと…。例えば整数全部が袋に入っているときに、そこからいくつか取り出して別の袋に入れる方法は、整数全体よりも多い、ってことですよね…。」
「そう。その通りよっ!」
「へー!!!」
他の生徒たちも理解できたようです。


「整数全体よりも、袋への入れ方の方が、たくさんあるの。どちらも無限にあるけど、袋への入れ方の方が、無限としては大きいの!」
「そっかー。」


無限にも大小関係があるなんて、ちょっと不思議な話ですね。
先生の目が、生き生きしています。
集合論について解説したくて、ウズウズしているようです。


「ちなみに、ちょっと難しい話になるけど、集合論っていう数学の分野があって、そこでは整数全体の "個数" を \aleph_0, 整数の、袋への入れ方の "総数" を 2^{\aleph_0} って言うのよ。」
そう言って、先生は黒板に書きました。


\aleph_0 < 2^{\aleph_0}


「わー。何だか難しそうー。」
生徒たちは口々に言いました。
「うんうん。見慣れない文字で書いたから難しく見えちゃうのよね。でも、内容は今言った通りだから。」


ほとんどの生徒たちは、目をパチクリしています。
そんな中で、
「ところで、先生!」
元気いっぱいのE君が手を挙げました。
「あら、何かしら。」
「その二つの間にも、無限ってあるんですか?」
「ふふっ。またまた、良い質問ねっ!」
先生の目が、またもキラリと光りました。


先生は続けます。
「整数全体よりも、袋への入れ方の方がたくさんあるわよね。今、E君がいったのは、その中間の大きさの無限があるのか、ってこと。じゃあ、質問。そういう無限があると思う人ー?」
約半数の生徒が手を挙げました。残り半数の生徒は、手を挙げませんでした。
「うんうん。分かったわ。はい、手を下ろして…。実はね、この問題、どんなにエライ数学者さんでも、答えることができないの。」
「ええっ!エライ数学者さんでも分からないのー!?」
生徒たちの間にどよめきが起こりました。
「うん。正確に言うとね、間の無限があるってことも、間の無限がないってことも、どう頑張っても説明することができないの。そういうことを、昔の人が発見しちゃったの。だから答えは『分からない』が正解。」
「そんなー。先生、ひどいや。」「ひどいひどいー。」「泣いちゃうっ。」
「みんな、ごめんね。でも、先生が言いたかったのは、数学っていう難しい学問の中にも、限界があるっていうことなの。そして、その限界は、エライ数学者さんたちが発見したものなの。限界を知るっていうのは、実はとってもすごいことなのよ。」
「ふーん。」「そうなのかー。」
「あとね、ついでだから言っておくけど、『間の無限がない』っていうことを『連続体仮説』って言うの。で、これが正しいかどうかは分からないんだけど、分からないっていうことは、それが正しいとして話を進めても、それが間違っているとして話を進めても、何の問題もないってことなの。だから、連続体仮説が正しいとする数学と、連続体仮説が間違っているとする数学と、二つの分野ができるの。数学は、自由なのよっ!」
ここまでくると、生徒たちも、さすがに先生の言っている意味が分からなくなってきたようです。
でも、先生はとても満足そうです。


「とにかく、数学は自由なのよっ!誰もこの楽園から私たちを追い出すことはできないのよっ!分かったっ!?」
「は、はーい…。」
生徒たちは、先生の気迫に圧倒されてしまいました。


先生は思いました。
(私は昔は数学者になりたかった。この生徒たちの中に、未来の数学者がいてくれたらいいな…。)


自分の夢を生徒たちに託し、先生は算数の授業に励むのでした。


―――完―――


(注)
小学生に対する説明を意識して書いたので、ところどころ、厳密でない箇所があります。
ご了承ください。