ゲーデルの第二不完全性定理が誤解される理由

ゲーデルの第二不完全性定理は、次のように誤解されることが多いように思います。
「数学のどんな体系も矛盾している!」
これは明らかに間違いなのですが、何故このような誤解が起こるのか、今まで自分には分かりませんでしたが、最近になって、ふと気付きました。
どうやら、一部の方々(もしかしたら一般の方々)の頭の中では次の図式が成立しているようなのです。
「証明可能⇔真」
すなわち、証明可能であることと真であることが同値だと思われているのではないかと。
証明可能なものは全て真であるし、真であることは全て証明可能、であればよいのですが、そうではないことはゲーデルが第一不完全性定理で証明済みです。
とにかく、それはそれとして、この立場に立つと、証明不可能であることと偽であることも同値になります。
ここで、第二不完全性定理の内容を誤解を招きやすいようにあえて表現すると
「適当な条件を満たす任意の公理系は、自身の無矛盾性を証明できない」…(1)
となります。
よって、一部の方々にとっては、
「無矛盾性を証明できない⇒無矛盾であることが偽⇒矛盾している!」
となってしまうわけですね。きっと。
ちなみに、(1)の「適当な条件」の中には「無矛盾であること」も含まれるので、これでは主張自体が矛盾したものになってしまいます。
これをして、一時期某所で話題になったid:aurelianoさんは、

こう書いてるだけでもとてもややこしいのだが、ゲーデルが証明したのは、証明というのが矛盾なしではできないということだった。そしてこの彼の証明自体、ゲーデルの言うように矛盾をはらんでいるのだとしたら誤りのようにも思えるのだが、しかしゲーデルは、証明そのものが必ず矛盾することを証明しようとしているわけだから、それはそれで正しいとも言えた。つまりこの一連の証明行為そのものも、正しくもありまた誤ってもいるという矛盾にもなっていて、ユニークな入れ子構造をなしている。

と書かれたのかもしれないなぁと思いました。違っているかもしれませんが。
そういえば、日経サイエンス2006年11月号の特集対談の中では、茂木健一郎氏が次のように語っておられました。

実は論理の世界にも矛盾はあって、集合の要素が無限になるような集合論を考えると、実はいたるところに矛盾が起こってしまうということが20世紀の初頭に明らかになった。
これが当時の数学者たちの大変な悩みで、これがゲーデル不完全性定理に繋がった。
そういう意味では、科学のよってたつ論理の根底にそういう矛盾があることがわかっていて、そんなに整合性のある世界はあり得ないんです。
<中略>
ゲーデル不完全性定理によれば、もしある論理体系が数論を含むほど豊かな公理系だとすると、その中で正しいことはわかるんだけど、証明も否定もできない定理が出てくる。
それはすごく大問題で、科学は整然とした論理的な世界だけでは済まなくて、根底に矛盾というか、穴が開いていることがわかってしまった。
そのあとにわれわれは矛盾を爆弾のように抱えて生きている。

さすがに、このような明らかな間違いが雑誌に載ってしまうのは問題だとは思います。